3年間の補習校生活を振り返って~親子の成長の時間~
- bundang-nihongo

- 3 日前
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アンニョンハセヨ。2025年度ブログ係、4年生の保護者です。今年度、ブログ係として多くの記事を執筆してきましたが、この記事が今年度、最後の投稿となります。
4年生になる娘は、2年生の頃からこの日本語補習校に通ってきました。しかし、突然の引っ越しが決まり、今年度いっぱいで補習校を離れることになりました。
娘は、父は韓国人、母が日本人のいわゆる日韓ハーフ。韓国の小学校に通いながら、毎週土曜日には補習校で日本語を学ぶ。そんな日々を3年間送ってきました。
私は日本人で、韓国に特別な縁やゆかりがあったわけではありません。ただ、結婚したいと思った相手が韓国人だったという理由でこの国に渡り、気づけば韓国での生活ももうすぐ12年になります。
この12年を振り返ると、本当にいろいろなことがありました。
日韓関係が冷え込み、韓国で暮らし続けることに不安を感じた時期もありました。コロナ禍では、日本に帰国することはおろか、家庭の外とのつながりさえ断たれてしまうような日々も経験しました。
それでも、娘との深いコミュニケーションを大切にしたいという思いから、私は娘に日本語を教え続けてきました。ただその一方で、心のどこかには、いつも孤独や寂しさがつきまとっていたように思います。どこかこの国に馴染みきれない気持ちをいつも抱えていました。
そんな中、3年前、コロナが少し落ち着いた頃にこの補習校の存在を知り、娘は入学することになりました。
正直に言えば、入学当初は保護者の役割の多さに戸惑っていました。また私自身も、日本で一度手放した自分のキャリアについて悩み、どう前に進んでいくかを模索していた時期でもありました。
そのため、意識のベクトルはいつも自分自身に向いていて、補習校の活動を前向きに「自分ごと」として捉える余裕がなかったのだと思います。
「娘に日本語さえ教えられればいい」。そんな自分勝手な気持ちが先行し、補習校がどのような思いで設立され、守られてきた場所なのかを深く知ろうとしなかった時期もありました。
やり方に馴染めず、退学を考えたことも、正直に言って何度もあります。
多くの宿題を娘にさせることで親子間にも葛藤が生まれることもありました。韓国で自分の居場所を築いていこうとしている娘に、日本語をここまでやらせるのは、私のエゴではないのかと悩んだ時期もありました。
それでも、3年という時間の中で、係の活動に関わり、授業を担当し、自分の子ども以外の子どもたちとふれあい、また同じように外国で子育てをする保護者の方々と多くの言葉を交わす中で、少しずつ私の心にも変化が生まれていきました。
そして娘にとっても、この補習校はいつの間にか特別な居場所となり、日本のルーツに誇りを持ちながら、自ら率先して課題に取り組む姿を見せてくれるようになりました。
そうやって過ごしているうちに、いつの間にか補習校を「自分もその一員なのだ」と感じられるようになっていたのです。
うまく言葉にするのは難しいのですが、この温かい気持ちが自分の中に芽生えたこと、そしてそのような機会を与えていただいたことは、私にとって新しい世界を知るような、大切な経験でした。
自分にしか向いていなかったベクトルが、少しずつ外へと向き、狭かった視界が広がり、社会を見る視座がグッと高まっていく。娘だけでなく、私自身も人間として成長できた3年間だったとそんな風に思います。
そんな矢先に決まった引っ越し。
私自身にとっても、第3の居場所として育っていた補習校を離れる決断をすることは、とても辛いものでもありました。
先生方の根気強いご指導、運営を支えてくださる皆さまの尽力、そして保護者同士で交わした何気ない会話や励ましの言葉。
そのひとつひとつが、この補習校という場所を温かく、安心できる居場所にしていたのだと思います。
代表の先生をはじめ、これまでこの場所を守り続けて下さったすべての皆様に感謝の言葉をお送りいたします。本当にありがとうございました。
ここで出会えた子どもたちが、それぞれの場所で、それぞれの言葉を大切にしながら成長していくこと、そして補習校という場所がこれからも変わらず続いていくことを、心から願っています。


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